ご家族 お客様インタビュー
アズハイム町田K,A様(奥様が入居)
昼夜逆転、認知症を発症した妻
マンション転居を断念してホーム探し
説得ではなく前向きな言葉で
認知症の妻に寄り添う日々
近所に出掛けたまま戻らない妻
近くで鳴る救急車のサイレン
「本人は異変を感じていたのでしょう」
2013年8月、早めの夕食を終えた妻・S。
S様(73歳)が「近所のお友達と会って来る」と出掛けた日のことをK,A様(76歳)が振り返ります。
真夏の19時過ぎ、外は明るさが残るなか、夕食後に出掛けた妻の異変をその時はさほど感じていなかったK様は2階の自室でパソコンをしながら妻の帰りを待っていました。
しばらくすると、近くで救急車のサイレンが聞こえ、その音は、だんだんと近づいてきました。
- K様
- 近くで救急車が停まったなと思ったら、5分ほどして去っていき、それから間もなくして病院から『奥さんが担ぎ込まれたからすぐ来てくれ』と連絡がありました
神奈川県内で二人暮らしをしていたK様・S子様ご夫妻は1970年にご結婚。
お二人とも大分出身で、地元でお見合い後、3カ月後に入籍というスピード結婚でした。1男2女の子宝に恵まれて、2年後には金婚式を迎えます。
全国に拠点を持つ電力会社に勤務していたK様は、なんと13回も転勤を経験しています。
- K様
- 新婚生活は尼崎で始まりました。その後、鹿児島に転勤して東京に。それからは単身赴任です
四国地方、中部地方、北海道と、K様の赴任先には奥様がお子様を連れて遊びに来ることが頻繁にあり、「当時は楽しかったですね」とほほ笑むK様。定年を控えた頃には東京勤務となり、神奈川県内で家族との生活が再び始まりました。
夫婦共働きで暮らしていた2004年、S様を脳梗塞が襲います。夕食時、普段ならK様と食卓を共にするS様が「疲れたからちょっと休む」と部屋にこもったのです。 その日は、日中、ご友人から「呂律が回っていないから病院に行った方がいいよ」と忠告されていたS様ですが、病院へは行かずに翌日を迎えました。
翌朝、「差し出がましいようだけど、奥様ちょっと変ですよ」とご友人からの電話を受けたK様は、寝室で寝ているS様に「病院へ行こう」と声を掛けます。ところが、S様は「行きたくない」と取り合いません。見かねたご長男も説得に加わり、ようやく病院に向かいました。病院での診断は「脳梗塞で即入院」。対応が早く、腕利きの医師に診てもらったこともあり、3日程で言葉は正常に戻り、2週間の投薬の末、退院してそれまでの生活に戻ることができました。
- K様
- それからは平気で仕事も続けられたから、私も、家族も、本人も、安心していました
9年後、2度目の脳疾患
右半身麻痺で車いす生活に
K様いわく、S様は人に「お願い」と頼むことができない人。
外出先で脳卒中で倒れたときも、しばらくうずくまりじっと耐えていました。道行く人から、「救急車を呼びましょう」と声を掛けられても救急搬送を拒んだそうです。
20分程経過したとき、近くで客待ちをしていたタクシー運転手が119番通報をしてようやく搬送となりました。
- K様
- 搬送時は話もできて、自宅の電話番号も名前も言うことができたそうです。
家族で駆けつけるとすでに呂律ははっきりとはしていなかったのですが、医師の説明を受けて家族は自宅に戻ることになりました
翌日、K様は病院のICU(集中治療室)にいるS様をたずねると、
「手足はどこに?私の顔半分はどこ?」と、右半身の麻痺でパニックになったS様がいました。
K様は看護師から手鏡を借りて手渡すと「顔も手足もちゃんとある。病気で麻痺しているだけだ。これからリハビリをすれば元に戻る。心配するな」と強く声を掛けました。
その後、S様は1カ月の入院・治療を経て、近くのリハビリが受けられる病院に転院。平日午前10時~午後3時まで行うリハビリは、一日も欠かさずK様が立ち会いました。
- K様
- 言語や運動のリハビリは家に帰っても継続するつもりでいたので一緒に教えていただきました
退院後、リハビリ用具をレンタルして夫婦二人で精力的にリハビリを続けました。
時には、「忙しいからあとで」と言うK様に、「今やろう」とS様は前向きに取り組んでいたそうです。
デイサービスを週3日利用しましたが、それ以外はK様が献身的に介護を続けました。
当時、お二人は2階建ての自宅にお住まいでしたが、車いす生活のS様と介護するK様にとって住みづらく、
子供たちに相談の上、ワンフロアのマンションへの転居を検討することになりました。
昼夜逆転、妻が認知症に
マンション入居を断念
ところが、都内のマンションを契約した翌月、S様に異変が起きました。
- K様
- 前月に契約をして2月の転居を控えていた12月下旬のことです。妻の昼夜が逆転したのです
今思えば、異変は1カ月ほど前に始まっていたかもしれない、とK様は振り返ります。
S様は日中に良く寝るようになり、それまで精力的に行っていたリハビリの時間も取れなくなりました。
夜になるとトイレに行く回数が頻繁になり、K様が「おかしいな」と気づいた頃は、
1時間に3~4回もトイレで起こされるようになりました。K様の睡眠時間はどんどん削られ、1時間通して寝られる日はわずかだったそうです。
- K様
- 15分前にも行ったよ、なんていうと怒られるわけです。だから手助けをしてトイレに座らせる。そうすると『なんでトイレに連れてくるんだ』とまた怒られるのです。自分がトイレに行きたいといったことも忘れてしまうのです
「トイレに無理やり連れてこられた」と妄想するS様とそれをなだめるK様のやり取りは続き、S様のいらだちは、暴力となって表れるようになりました。
- K様
- 認知症の始まりです。認知症は説得しようとしちゃダメなんです
その頃のK様は心身ともに疲れ切っていました。
2カ月後に引っ越しを予定していたマンションでの二人暮らしも、夜中に大声をあげて暴れるS様のこともあって「近隣住民に迷惑が掛かる」と断念。介護施設を探すことになりました。
老人ホームの紹介センターに相談したところ、早速2か所の老人ホームを紹介されました。
第一条件は、「新居となるマンションから車で30分以内の場所」であること。次女を伴って、開設したばかりの「アズハイム町田」を訪ねました。
- K様
- 時間も迫っていたので1日で2か所を見学しました。午前中に『アズハイム町田』を見学したあと、もう1か所を見学。そちらは開設して10年以上のホームで館内が暗い印象でした。もう一度『アズハイム町田』に戻り、その日のうちに契約をしました
後日、K様はS様を説得するために長女とともに再度「アズハイム町田」を訪れました。
相談室で、当時のホーム長、老人ホーム紹介センターの職員と面談をしましたが、S様は入居を頑なに拒みました。
「夫や家族に見捨てられた」という気持ちが募り、怒り、悲しみがあふれるS様は不自由な身体で相談室を出ようとしました。
- K様
- 一番つらかったのは、妻が車いすで帰ろうとしたことです
家族はできる限り訪問を
その時の状況を一変させたのは、当時のケアマネジャーとS様とのやり取りでした。Cケアマネジャーの説明を受けたあとのS様のホッとした顔は今でも忘れられないそうです。
- K様
- Cさんの話で妻が急に落ち着きを見せました。妻はなんとなく納得してくれて、その日は自宅に帰りました
それから1カ月もたたないうちに「アズハイム町田」での生活がスタートします。
- K様
- 里心がついてしまうかなと私も子供たちも最初は顔を出さないようにしていました
入居時は「家に帰りたい」といった気持ちを増幅させてしまうからと、
「入居当初はなるべく施設に家族は顔を出さないでほしい」といった方針の施設はあります。
ところが、S様の入居当時にケアマネジャーとして担当して、現在は「アズハイム町田」ホーム長のCさんはまったく逆の考えを持っています。
「ご家族から『いつ来ればいいですか?』と聞かれると、『毎日来てください』と答えます。ご入居者の中には『家族に見捨てられた』と不安に思う方もいらっしゃるからです。諸事情あってこちらで入居することになったわけで決してご家族はご入居者を見捨てたわけではありません。
ご入居者は放置されるほど寂しさが募るもの。ご家族は、毎日は難しくともなるべく顔を出していただきたい」とCホーム長。
ご家族が帰った後、ご入居者が取り乱しても「そのあとの対応は私たちにお任せください」と話します。 入居当初はこうした繰り返しがあっても、1カ月もすれば次第に「アズハイム町田」での暮らしになじむ方が多いそうです。
認知症に説得は禁物
- K様
- 妻は入居当初、頻繁に幻覚を訴えました。部屋にヘビが隠れているとか、人がいるとか。ベランダにためた水の中につけられるなんて言い出すこともありました
これまでの経験から「認知症は説得してはダメ」と教訓を得たK様は「部屋にヘビがいたらスタッフの方が出してくれる。ベランダで水につけられそうになったら私が助けるから」とS様に対して“前向きな会話”をするようになりました。
- Cホーム長
- 安部様ご夫妻の夫婦愛はアズハイムの中でも一番。S様のために車いす用の車を買い替えて、今日もこれから食事に行かれますよ
毎週1回は必ずS様を訪ねて、バリアフリーの店での食事を楽しむ安部様ご夫妻。K様によると「アズハイム町田」の近くではバリアフリーの店を6店舗開拓。事前にお店には断りを入れてから食事に出掛けるそうです。
- K様
- 外観からは、トイレの様子がわからないですから。事前にお邪魔して確認するのです
当初は、不自由な食事の姿を他人に見られたくないと、S様も気乗りはしていなかったようですが、今では自然と食事を楽しめるようになりました。
- K様
- 入居してから8カ月ほど経ったころから変わりました。外出先で入居されている皆さんにお土産を買って帰りたいというようになったのです
ご入居者にとって、ご家族との時間が何よりも大切だと話すCホーム長は、ご家族には「無理のない範囲」で、短い時間でもなるべく多く顔を出してほしいと力説します。
- Cホーム長
- 長時間過ごすと立ったり座ったりの介助やトイレ介助などのお世話が必要となり、それはご家族にとっても負担です。短い時間なら、楽しい時間だけで過ごせるからいいのです。S様もK様がいらっしゃるのが楽しみとなり、表情も明るくなりました
「ありがとう」の連鎖でフロアも明るく
こうした日々を経てS様には社交的な一面も現われてきました。
「S様が入居当時に近くの居室の方々がS様を気にかけていろいろと声掛けをしてくださいました。そうすると『ありがとう』ってS様がご挨拶されて。新たなコミュニケーションが生まれました」(Cホーム長)
S様ご自身も他のご入居者を気にかけるようになり、ご入居者同士の「ありがとう」が連鎖して、フロアが明るくなったそうです。
- Cホーム長
- 人の役に立っている、自分の存在価値を感じられる。S様ご自身がそういった気持ちになられたようです
K様にとって、一番嬉しかったのは「ここが私の住処(すみか)」というS様の言葉。最近のS様は認知症の症状も落ち着いてきたそうです。
「それでも時々、『あなたあの人にお金を借りているでしょう』なんて言われて、『もう返したから大丈夫だよ』と返すと、『まだ返してもらってないって言っているわよ』」なんて言われて、対応に苦慮します」と苦笑いを浮かべるK様。
最近はS様の表情からその日の状態をくみとりS様に接するようにしています。
K様は、「元気だった妻には戻らない」とシビアにとらえながらも、「無理をせずに日々を楽しく過ごしてほしい」と願います。今日も愛車のハンドルを握り、二人仲良くお出掛けになりました。