ご家族 お客様インタビュー
アズハイム横浜上大岡B様(ご主人が入居)
持病を抱えながらの夫の介護「大変の一言に尽きます」
夫婦二人だけの介護生活で疲労困憊
“スープの冷めない距離”での生活が転機に
介護申請から施設入居まですべて初めてのこと
一人で抱えて心がパニックになりました
「熟睡ができない生活が毎日続きましてね、『私、この先命があるかしら』と思いました」と、自宅でご主人の介護を続けてこられたB様が当時を振り返ります。
ご主人が指定難病の大脳皮質基底核変性症と進行性核上性麻痺と診断されたのは平成27年6月のことです。当時、ご主人は71歳でした。
- B様
- 最初に主人の様子がおかしいと気づいたのは平成26年4月です。主人と姉と伊豆に旅行して、大室山のリフトに乗ろうとするのですがタイミングが合わなくてなかなか乗れなくて。それを見た姉が『野球をやっていたのに何で?』って。リフトの係の人も『野球をやっていた人の割にはおかしいですね』って
私がいる限りは大丈夫、それでも何かあったらよろしくねと
その頃から、B様はご主人が頻繁に転ぶ様子を目にするようになりました。
翌年2月、ご主人は要支援1の介護認定を受けました。その後、介護保険サービスに基づいたリハビリを開始する予定でしたが、ご主人がリハビリを嫌がったため介護保険サービスを受けないまま1年がたち、介護認定の更新ができずに失効してしまいました。
一方、B様には持病があり、10年以上前から人工透析を続けています。週3回、4時間の透析をしながらの在宅介護は「大変」の一言に尽きるといいます。
- B様
- 子供がいない夫婦二人ですから大変でしたね。姪が『何かあったら言ってね』と言ってくれましたが『私がいる限りは大丈夫よ、それでも何かあったらよろしくね』と伝えていました
体重80キロと大柄なご主人の介護。人工透析による血管注射と、筋力を使うご主人の介護の結果、B様の細い腕には幾筋もの太い血管が浮き、在宅介護の過酷さを物語っていました。
- B様
- 車いすに乗るまでは、常に私が主人と腕を組んで歩いていました。それでもある日、通院後に自宅マンションのエレベーターホールで主人が転倒してしまいましてね。救急車で病院に逆戻りなんていうこともありました
B様にとって在宅介護で最もつらかったことは、睡眠が十分に取れなかったこと。寝室を共にしていたため、少しの音で目が覚めたといいます。
- B様
- 10時に就寝しても、12時、2時、4時、5時、6時と何度もトイレで起こされるのです。寝たようではなかったですね
前立腺肥大の疾患を持つご主人には排尿障害があり、夜中に何度もトイレで起こされたそうです。トイレまでのわずかな距離も必ずB様の付き添いが必要なうえ、時には間に合わずに失禁をしてしまい、夜中に2度も洗濯機を回したことがあったそうです。
そうした生活を続けていた2016年4月、B様が透析から戻って自宅に入るとご主人が廊下に座り込んでいました。
- B様
- 主人は自分でトイレに行ったものの、そのまま歩けなくなって廊下に座り込んでいたのです。私の力では主人をベッドに移動させることもできずに、主人を廊下に座らせたまま昼食を取りました。その時に訪問診療の先生がいらしてベッドに移してくださいました。男性の力だから主人を動かせたものの私には到底できないことでした
入居相談員のモガキさんにはとてもよくしていただきました
この出来事がきっかけで、在宅介護の継続は厳しいと思ったそうです。
数日後、主治医の紹介でご主人は戸塚の老人保健施設に入所しました。
- B様
- 1週間と短い入所でしたが、主人のインスリン注射の投与で私も毎日通いました。朝6時過ぎに向かって食事を終えた頃に注射をして。それを1週間続けたのです。私も疲れ切ってしまいました
ご主人は老人保健施設を退所後、近隣の病院に1カ月入院。この入院期間中に、ご主人を担当するケアマネージャーの紹介で、横浜にある有料老人ホーム紹介所を訪ねました。そこでは、「アズハイム横浜上大岡」のほかに、新横浜や戸塚の有料老人ホームを紹介されました。B様の自宅から「アズハイム横浜上大岡」まではバスで10分と近く、持病のあるB様は見学した当日に入居を即決したそうです。
- B様
- 私自身、透析を週3日しているので家から近い場所であることは決め手の一つでしたね。何かあったらすぐに飛んでいけますから。アズハイム横浜上大岡の見学では、こちらの入居相談員のモガキさんにはとてもよくしていただきました
病院を退院後すぐに「アズハイム横浜上大岡」での生活をスタートさせたご主人。入居したばかりの頃は、「アズハイム横浜上大岡」は病院だと思われていたそうです。
「ある日、ここが老人ホームだと気づいて『帰る、帰る』と言いましてね。それでも最近は言わなくなりましたね」と話すB様に、新井ホーム長がこう答えました。
「私たちが勝手に名付けていますが、ご主人の中に愛情メーターがあるのです。奥様が透析でお見えにならないと、寂しさから愛情メーターが徐々に減っていくのです。それがカラカラになるとだめ。フロアまで出てこられて『妻に会いたい』と仰います。その時は朝一番に来ていただいたり、電話でお話をしていただいたりして愛情メーターを回復させるのです」
「なるべく一緒にいたいから」
外出レクリエーションは二人で参加
B様ご夫妻は、職場で知り合い28歳で結婚。東京・高島平で新婚生活をスタートさせて、自由が丘、千葉・安孫子に移り、現在の上大岡に至るまで二人仲睦まじく過ごしました。どこに行くにも一緒の二人。共通の趣味は旅行で、全国各地を巡ったそうです。
- B様
- 主人は旅行ツアーに参加すると場の雰囲気を盛り上げるタイプ。歌は知らないのに、なんとか盛り上げようとして国家を歌っていましたね。おかしいでしょう。それまで静かだった人たちも、思わず笑っていましたね
野球をしたり旅行をしたりといったことを好む活動的なご主人は、「アズハイム横浜上大岡」で行うレクリエーションにも積極的に参加しています。外出レクリエーションはB様も同行します。
- B様
- なるべく一緒にいたいですから、外出レクリエーションも一緒に参加させていただいています。二人で出かけたら、介護タクシーを呼んだり、トイレの心配をしたり大変なこと。こんなにありがたいことはないですね。先日は、池袋のサンシャイン水族館に行きました。水族館に向かうバスでは、主人はあまり気乗りしない様子でしたが、アシカを見たら喜びましてね
「『楽しかった人』って言ったら拍手されていましたね」(新井ホーム長)
「アズハイム横浜上大岡」では趣向を凝らしたレクリエーションが盛んに行われています。入居者が「好きなこと」「したいこと」を叶えようと企画したことの一つがなんと「競馬観戦」。競馬好きの入居者を募って川崎競馬場を訪れました。
- B様
- 主人は中山や府中の競馬場や場外の馬券売り場に通うほど競馬が好きでした。新潟競馬の時期は二人で新潟まで行きましたね。ですから、川崎競馬のレクリエーションも喜んで参加していました。馬券を握りしめてね、『あ~外れた~』って
秋には、横須賀でマグロを食すイベントがあり、ご主人と参加することが目下の目標です。
- B様
- 私が住むマンションの住人も高齢化が進んでいますから、『どこかいいところある?』なんて聞かれますね。私は『スタッフの皆さんが優しいし、絶対にアズハイム横浜上大岡がいいわよ』って答えています。『競馬場まで連れて行ってくれるところなんてなかなかないわよ』って驚かれますね
ふたり寄り添いながらこれからも
「アズハイム横浜上大岡」の生活も1年を過ぎました。現在のご主人の介護度は3。「アズハイム横浜上大岡」では常食(健康な人が日常で食べる食事)を取っていますが、飲み込む力が弱まり、口中に食べ物を残すようになったそうです。
新井ホーム長は、「入居されたときはすぐに寝たきりになるのではという話もありましたが、1年たった今でも車いすに座って生活されていますから、進行が遅れているように思いますね。勝手な解釈ですが、イベントやレクリエーションへの参加で画期的な毎日を送られていることが進行を遅らせているのではないかと思っています」と話します。
B様は最近になってようやくご自分の時間を過ごせるようになったといいます。一番の楽しみは、大好きなタンゴのコンサートに出掛けること。アコーディオンの音色は気持ちを明るくさせるといいます。そして、なかなかできなかった旅行も再開し、近々、お姉様と箱根旅行を計画しています。
- B様
- 私も息抜きをさせてもらいます。主人にはまだ箱根旅行の話はしていないのですが、何か感じてかそわそわしているのです。不思議ですね
気持ちにゆとりができたB様は、ご自身の健康維持のため、「アズハイム横浜上大岡」からの帰り道を25分かけて歩くようになったそうです。
「残された人生、ふたり寄り添っていきたいですね」と穏やかな表情で語るB様。自宅と「アズハイム横浜上大岡」はまさに「スープの冷めない距離」にあります。この適度な距離の選択が、夫婦二人三脚の老後をより豊かなものへと導いているのかもしれません。