ご家族 お客様インタビュー
アズハイム南浦和T,W様・C,O様ご兄妹(お母様が入居)
アズハイムで暮らして6年の母
表情が明るく穏やかに変化
“ここはいいわよ”って、母が私たちにアズハイム南浦和の入居を勧めます
一人暮らしに不安を抱える母
地域包括支援センターに自ら相談
年を重ねるにつれ「それまでできていたこと」ができなくなる状況はストレスを抱えたりやる気や気力を失ったりする原因になります。
「アズハイム南浦和」で暮らすS,W様(93歳)は、2000年にご主人を亡くして以来、埼玉・狭山市のマンションで一人暮らしをしていました。
S様は自立心がとても強く、炊事・洗濯・掃除などはすべてご自身でこなされていましたが、
ある日から一人暮らしの生活に不安を抱くようになりました。
そこで、地域包括支援センター(※以降:地域包括)に自ら足を運んで生活にまつわる相談をするようになりました。
その時の状況を長男のT様が振り返ります。
- T様
- ある日、銀行印をなくしたと言って地域包括の職員の方と半日がかりで探したことがありました。
結局、その時は見つからず『改印』の手続きをしようと、私も仕事を休んで銀行を何行か回り手続きをしました。
ところが、その晩、母から『印鑑があった』との連絡。
それ以外にも、保険証をなくしたとか、ある日は夜遅くに妹の家を突然訪ねたりして大変な思いをしました - C様
- 電話もせずに夜中に母がやってきて、私の自宅の敷地で滑って転んでしまったのです。
1週間に1回は母の様子を見に実家を訪ねましたが、
冷蔵庫にはいくつもヨーグルトが並んでいたり、台所の火をかけたままでいたり、不安な点はいくつもありました
そしてある日、S様と同じマンションの住人から、S様が階段で転倒して血だらけになったという話を聞きます。
住人もS様の1人暮らしを心配するようになり、娘のC様は、S様の自宅をオール電化に変更しました。
それでも、S様の様子は日増しに不安定になり、ちょっとしたことでS様から電話が入るようになったのです。
- C様
- ある日は、お米を計る計量カップがなくて困っているとか、電球を変えられないとか、
それまでの母なら対処できていたことができなくなっていたのです。
そうした日常の些細なことは連絡があるのに、
マンションで転倒して怪我をしたことは私たちには言わないのです
こうしたことが続き、地域包括の職員からは「介護施設への入所」を勧められました。
そこで紹介されたのが、現在入居している「アズハイム南浦和」の姉妹ホームである「アズハイム川越」です。
ところが、「アズハイム川越」はすでに満室でした。
当時、「アズハイム」は埼玉県内に4棟ありましたが(現在は、その後開設した『アズハイム三郷』を含む5棟)、
空室のある「アズハイム南浦和」を見学することとなりました。
“一時的な”体験入居からそのまま本入居へ
帰宅願望に悩まされた2年間
- T様
- 『アズハイム南浦和』のほかに、他の会社が運営する介護施設も1か所見学しましたが、『アズハイム南浦和』と比べると手狭でした。何より、雰囲気が良くないと母も感じたようです
当時、S様が住むマンションでは大規模修繕工事がありました。
8月の暑い最中、エアコンを使えないという状況が2週間続くということから、
T様は、「一時的な入居」という理由でS様に「アズハイム南浦和」での体験入居を勧めました。
- T様
- 体験入居の気楽さもあって、修繕工事の間は一時的に避難したらっていったら母も『そうだね』と。ところが、2週間たつと『もう出たい』って。『まだ工事は終わっていないからもう少しいたらいいよ』というようなやり取りをして、体験入居からそのままこちらにお世話になりました
もともと、精神的に不安定な一面を持つS様は、60歳の頃、うつ病を発症して1カ月間、入院したこともあります。
人見知りの性格から、「集団の中に溶け込めない」といった不安もあり、T様やC様や「アズハイム南浦和」の職員に帰宅願望をぶつけるようになりました。
また、「アズハイム南浦和」の入居の際には、入居者は貯金通帳や現金をホーム内に持ち込めません。
そのため、T様が預かることになりましたが、S様は「息子たちが盗った」と妄想するようになったのです。
- T様
- 母の性格は興奮すると収まらなくなるタイプです。なだめるのも大変でした。年を取っても自分一人で生きていこうと思っていたのが、できないことが増えてしまって不安になる。だから、施設でお世話になった方がいいということも自分では理解しているつもりでも、いろんな人とやっていけるだろうか、やっていけるはずがないという葛藤があったのだと思うのです
こうした日が続いたある日、S様は「アズハイム南浦和」の職員と一緒に、電車を乗り継いで1時間以上の場所にあるS様の自宅に一時帰宅しました。
- C様
- 本当は車で連れて帰ることもできましたが、自宅に帰ることの大変さを実感することができると電車で帰ることに。職員の方も『じゃあ一緒に帰りましょう』と言ってくださいました。自宅がどうなっているのか、確かめておきたかったのでしょう。2度ほど帰りましたが、その後は『もう疲れるからいいわ』と言うようになりました
長年、自分のペースで生活してきた人が住み慣れた我が家を離れ、新しい住まいで集団生活を始めることはS様でなくともストレスを感じるものです。一般的に、老人ホームの入居者で帰宅願望を訴える人は少ならからずいます。
- T様の奥様
- 義母は若い頃から、私たち子どもの世話にはならず、老後は老人ホームで生活するという人生設計があっていろいろと準備はしていたようです。ところが、いざその立場になると、不安が出てきてしまったようです
帰宅願望を口にする度に、「アズハイム南浦和」の職員はS様とじっくりと向き合って対処しました。こうした「介護のプロ」の応対がS様の心境に変化をもたらします。
- T様
- 年末に母から100回くらい電話がかかった日もありました。母は多くの人とコミュニケーションを取るタイプではないので、
不安だったのでしょう。自分の時間や空間が持てるのかという抵抗感があったと思います。
それでも1~2年を過ごすうちにだんだんと溶け込んできて、自分のペースで過ごせることに気づいたようです。
スタッフの方々も大変だったと思いますが、状況に応じた対応がプロなのでお任せしましたね。
今ではそんなこともあったなあと思い出すくらいです
S様が60代のころからかかっていた精神科の病気。入居前はいくつものクリニックにかかり診察券も薬も大量にあったというS様でしたが、現在は「アズハイム南浦和」の協力医療機関である「かたやまクリニック」の診断で処方された薬を服用しています。(注意:取材時)
- T様
- かたやまクリニックの先生に診てもらってから母はすごく変わりました。いくつもの病院に通院したり、時には入院したりと長く患っていますが、良くなりました
- C様
- 母はあっちこっちの病院やクリニックに掛かっていたので診察券が束のようにありました。薬も何を飲んでいるかわからなくなります。母が勝手に判断してこの薬を飲まないってこともしていましたから。ここでは薬の管理もあるから安心です
共有スペースで趣味や会話を楽しむ母
「母を導いてくれた」スタッフに感謝
S様は、入居した当時は食事を終えるとご自分の部屋に戻り、趣味の読書や絵画を楽しんだり好きなテレビ番組を観たりといった生活をしばらく続けていました。 ところが最近は、他の入居者や職員が集まるダイニングで過ごす時間が増えたと言います。
- C様
- 最近母を訪ねると、居室ではなくダイニングにいることが多くなりました。折り紙をしたり塗り絵をしたりしながら、近くにいるスタッフと会話しています。もともと寂しがりの性格ではないのですが、今は人とのコミュニケーションを楽しんでいるようです
一昨年前に転倒してしまい、大腿骨骨折をしたS様は現在車いすの生活を送られています。日々の楽しみは入浴や週2回の訪問マッサージの時間。それ以外にも、『アズハイム南浦和』で行われるレクリエーションにも参加するようになりました。
- T様
- 近所の人ともあまり話さないような母でしたが、昔に比べるとだいぶオープンになりました。1月は入居者の皆さんや職員の方々と初詣に出掛けたようです
そうしたS様のご様子に「安心した」と話すC様。S様の表情も穏やかで明るくなったと言います。
- 孝子様
- 周りの方々にありがとう、ありがとうと言う母の姿をよく目にします。周りにずいぶん優しくなりました。スタッフの方々にはよくここまで導いてくださったとお礼を言いたいです
正月はアズハイムで。家族で集う至福の時
「こんなにいいところはない」と繰り返す母
車いすのご生活になる前は、正月になると家族でバイキングに出掛けることもあったS様ですが、今年の正月は、「アズハイム南浦和」の一室を借りて、家族で新年を祝いました。
- T様
- 私たち兄妹夫婦と、私の娘とその孫と。お節などを持ち込んでにぎやかに過ごしました。母にとっても家族同士で食べられるのは楽しいでしょうしね
以前は、S様による暴言や同じ話の繰り返しでついつい喧嘩になってしまったというT様とC様。 今では、S様が繰り返す話に思わず笑みがこぼれます。
- T様
- この2~3年の母は『こんなにいいところはないからあなたたちも“アズハイム南浦和”に入りなさい。あなたたちが優先的に入れるように話しておいてあげる』と言うようになりました
- C様
- ここがいいから入りなさいって何度も同じことを繰り返しますね。私たちも高齢者ですから、考えなきゃいけないですね
最近、嚥下機能が衰えてきたS様ですが、ホームでの食事を大変気に入っていらっしゃいます。この日のランチは、「日本全国駅弁巡り」と題したイベント食。ダイニングではS様が京都・嵯峨野の筍飯弁当を美味しそうに召し上がっていました。訪ねてきた息子夫婦、娘夫婦を見かけると満面の笑みで手を振るS様は明るく輝いていました。